ハンブルクのAltstadtとNeustadt地区をまたぐように位置するGaengeviertel
19世紀の初頭に労働者階級の家族が住む地区として栄えていました。
この地区には狭い一角に沢山の住居が立ち並んでいましたが衛生面では安全なエリアとは程遠いものでした。
1982年以降のコレラの流行を機にハンブルク市はこのエリアの衛生管理を見直し取り壊しが進み
次いで第二次世界大戦に突入し、この地区の主なパートはハンブルクへの空襲により破壊されてしまいました。
戦後は街の再開発も絡み周りには高層ビルが立ち並び
この地区は全て一掃され現在ではCaffamacherreihe、Valentinskamp
そしてドイツを代表する作曲家のヨハネス・ブラームスの生家のある通りSpeckstraßeのあるBaeckerbreitergangが残るのみで
当初ハンブルクの歴史を語るに欠かせない遺跡は老朽化し
その存続に困った当局がこれらの地区の必要性の利回りを強要するために、これらの地区を競売にかけました。
何年にも渡りとある投資家が彼の都市開発計画をこのエリアで実行しようとしましたが
ついに2007年300万ユーロの計画予算の損失を持ってこの計画は断念され
以前の賃貸契約は全て白紙に戻されました。
当初の計画書によると解体の開始日程は2009年の夏で80%の歴史的な建造物が取り壊されてしまうところでしたが
代りに2008年にハンブルク市はオランダの投資家HanzevastのGaengeviertelへの購入の申し出を受け入れた事で
この資本主義計画を転覆させることができたのでした。
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